私の子供たち、とくにお兄ちゃんは本当に色々ありましたが、今のところ何とか元気に育っていると思います。
お兄ちゃんが幼いころは毎日先の見えないトンネルの中で生きているような気分だった時期もあったので、特にそう思います。
もちろん色々心配なことはたくさんあります。
お兄ちゃんは普通の健常の人のように生きていくのは難しいので、両親である私たちが面倒を見れなくなってしまった時のことは常に念頭に置いておかなくてはいけないし、お兄ちゃんを支えてくれている様々な福祉や互助団体とのつながりはずっと続けていかなくてはいけませんし。
子供の障害を受け入れるって難しいです。
今の私だってそれが完全にできているわけではありません。
ああもっと普通の子だったらなあ~って思う時ってありますよ。
でも「目の前のお兄ちゃんはこういう現状だから仕方ない」と受容と諦めの混じった感情で息子を見守っています。その感情にも波があって、前向きな時と後ろ向きな時が交互に押し寄せてきて歳月が経つにつれてそれにだんだん慣れてきたって感じです。
よく福祉の番組とか本とかは立派な方が多くて、メディアはそういう人ばかり取り上げるけど、自分はそんな親にはなれませんでした。
それでも何とか毎日を生きています。
私はお兄ちゃんが小さいころお兄ちゃんと〇ぬしかないって思っていた時期がありました。
そこで思いとどまれたのは、思いがけなく産まれた娘の存在でした。
それはまぎれもない事実です。
そして周囲の大人(親族やお兄ちゃんに関わる人たち)たちは少し大きくなった小さい娘に当たり前のように
「大きくなったらお母さんやお兄ちゃんを助けてあげてね」
いうのを目の前で見てましたし、お兄ちゃんに振り回されていた私もそれが普通だと当時は思っていました。
でもある日インターネットで「きょうだい児」の苦しみを書いたブログや掲示板を見つけ、自分は娘をこの苦しんでいるきょうだい児の方たちのようにしてはいけないと思いました。中には障害のある子の下に子供を作ること自体が親の自己満足でしかないと言い切る方もいて、それもまた厳然とした事実なのかもしれない・・・とも思いました。
それからは不十分ではありましたが、娘に「あなたはママの大切な子供だよ」と常に伝えるように心がけてきました。そして今も自分の人生は自分のためにあるってことをなるべく伝えるようにしています。
だから娘が今回の件で、ストレスからくる体調不良になってしまったときは本当に申し訳ないという気持ちしかありませんでした。
娘には将来幸せになってほしい。お兄ちゃんや自分たちがネックになってしまうことのないようにしたい。
周りは色々言うかもしれないけど、私はそう考えます。
そんなことをちょっと思いました。
偉そうなことを言っている私自身はなんだかパッとしないし、仕事のことはまだ悩んでいるし。
本当にダメ母ですが、それでも子供たちの幸せを願ってもうひと頑張りしなくてはいけないなとも思います。