今日は朝からムシムシする陽気なので、エアコンに頑張ってもらってます。
今日はお兄ちゃんのことというかちょっと重い話を書いてみようかと思います。
時々今でも脳裏に思い浮かぶ気持ちがあって、それをどうしても残しておきたいので。
お兄ちゃんは小学校入学前は通常の幼稚園ではなく、地元の療育施設に通っていました。
そこは週に2回程度の母子通園(親子で施設で一緒に過ごして、子供と一緒に工作や体操等をしたりしました)があったので、そのおかげで色々な保護者の方や先生方と知り合い、色々な学びがありました。(今仲良くさせていただいているママ友さんもここで知り合った方です。)
その施設の考え方は基本的には通常の子育てと同じ(その子の発達に合わせた基本的生活習慣の確立、親子の信頼関係の構築等)なのですが、地元の療育施設は受け入れる障害の幅が結構幅広かったので、(当時は療育の必要なお子さんを受け入れてくれる幼稚園や保育園が地元には少なかったので、何かしらの障害のある子のほとんどを受けれていました。)障害の特性や特性に合わせた子供へのアプローチ方法、今後の進路についての考え方なども学ぶ機会が多く、そのどれもがとても重みのあるものでした。
だから楽しいことばかりではなくて、つらいことも結構ありました。
その中でも自分にとって一番難しくてつらかった作業は
「親自身が我が子の障害を受け入れること」
でした。
まだまだ幼い我が子に夢見ていたい時期に
「お子さんは健常のお子さんのように成長することはできません。ですからお子さんの障害を受け入れて、そのうえで前向きにお子さんの将来を考えていきましょう。」
的な話をことあるごとに先生方や周囲の人に言われるのは本当につらかったです。
私は最初のうちは一人になるとよく泣いてばかりいました。
息子と一緒に〇のうかと思うことだってしょっちゅうでした。
でもずっと後、今くらいになってみると逆に子供が幼いころにそういう作業をしておいて良かったのではないかとも思っています。
あの時期に色々悩んでつらい思いをしたことで、これは一生付き合っていかなきゃいけない感情なんだという事を自覚することができたので。
「ありのままの我が子を受け入れ、その子に合った道を探していく」っていうのは本当に大切なんじゃないかって思えるようになったから。
娘が成長してきたときにも、娘に対して自分ができなかったことを子供に押し付けようとする己の愚かさみたいなものにある時気づくことができたのもこの時の経験があったからではないかと思います。(もともと賢い人には不要な経過だとは思いますが。私はあんまり賢くないので、実体験として失敗してみないと色々わからない人みたいなので。)
でもまだお兄ちゃんが小さいときはそんなこと考えている余裕なんてありませんでしたよ。(娘の妊娠・出産も重なっていたのでなおさらでした。)
もし、今幼いお子さんが家のお兄ちゃんと同じようなことで悩んでいらっしゃる方がもしいたら、今はその気持ちをどこかで吐き出して、思いっきり泣いてもいいと思いますよ。
だってつらいじゃないですか。
自分の子供が普通の子のように色々上手くいかないのを受け入れろなんて言われても。本とかドキュメンタリーとかでは紆余曲折しながらも立派な子育てしてる人ばっかりスポット当てるけど、そんなに立派な人ばっかりなわけないでしょう?
ああいうのでちゃんとできる人って多分他の事もちゃんとバランスよくできるんですよ。
私は本当に何にもできませんでしたから。
周囲の立派なお母さんとか見ててつらかったですよ。
結局、色々冷静に考えられるようになるには結局ある程度の時間が経たないとどうしようもないと思うんです。
だからまずは冷静に見れるようになるまで毎日をただひたすら生きるだけでもいいので、今を毎日を生き延びてほしいと思います。
時には私のようにアーティストさんとかどうでもいいような楽しみを見つけてもいいと思うんですよ。
時間が経つと慣れてくることも、お子さん自身だって成長期ですからこれから成長していくことだってあるのですから。
私だってまだまだ分からないです。大人になったらなったで、今度は別の何かで悩まされてまた昔のように泣いてしまう日々が来ないとも言えませんし。
そうやって苦しんでいる人を誰か話を聞くだけでもいいので、その人の気持ちを黙って聞いてくれる人が苦しんでいる人の近くにいてほしいなあと願っています。