旦那さんと二人で小田原~箱根と1泊2日の旅行に行ってきました。
新宿からロマンスカーで行きました。
2日間の箱根フリーきっぷと新宿⇔箱根湯本までの往復特急券を買ったのですが、お天気が予想していたより良かったので、行きは途中の小田原で下車して小田原城を観に行くことにしました。
お昼は駅前のバル?っぽいところで鯵尽くし御前(お刺身・なめろう・アジフライ・鯵のはんぺんのセット定食)を食べました。
どれも美味しかったのですが、アジフライが特に肉厚で美味しかったです。
鯵のはんぺんも初めて食べましたが、つみれなどに比べて口当たりはなめらかで美味しかったのですが、いわゆる普通の白いはんぺんよりも香りが若干強めに感じました。(白身魚と赤身魚?の違いもあるのかもしれませんが)
普段あまり見たことがなかったので、貴重なものをいただけたな~と思いました。
お昼を食べて、小田原城正面入り口の方からお城に入って見学。
入り口の道が色々曲がりくねっていて、石段も段差があって・・という昔のお城の特徴を残してはいました(というより戦後の復興事業で江戸時代当時の様子を再現したようです)
が、敷地内はきちんと整備されていて、子供が遊べるミニ遊園地があったり、何故かニホンザルのいる檻があったりと地元の人たちの憩いの場にもなっているようで、小さい子を連れた家族連れが結構来ていました。
天守閣は資料館になっていて、階ごとに色々な展示がされていました。
町ごと城となって、籠城戦に強い堅牢な小田原城を落とすために、一夜城を築いた秀吉の知略にさすがの北条氏も降伏したというのがやっぱり自分的には印象が強いです。
小田原城はその北条氏が明け渡した後も江戸時代を通して、東海道の交通の要所として、また防衛の要所としてかなり繁栄していたようで、徳川家の昔からの家臣一族が代々城主を務めていて、徳川将軍が東海道を移動する際(特に江戸末期に将軍が上洛していた時など)の宿泊拠点になっていたりと、重要なお城だったみたいでした。
明治以降は一時期皇室の御用邸として使われていましたが、関東大震災で大きな被害を受けて、損壊がひどかったことからそのまましばらくの間放置状態だったそうです。
その後、戦後になって地元の人たちが中心になって復興事業がなされ、今のように整備されたそうです。
こんな風に様々な変遷をたどったお城ではありますが、
その中でも
やっぱり小田原城と言えば戦国時代の北条氏!
という感じで、北条5代の大名の紹介も詳しくされていて、豊臣秀吉の小田原攻めの北条方を主役にした再現ドラマの映像とかが流れていて、地元としてもかなり力を入れている印象でした。
でもきっと小田原が一番栄えていたのは戦国時代に北条氏が拠点にしていたころだったのかな・・・・とちょっと思ったりもしました。
最盛期の北条氏は関東地方の主要な地域をほとんどを領地にしていて(江戸は当時は小さな漁村だった)小田原はそのお殿様の居住する「首都」的な場所だったようで、よそから来た人たちの当時の記録だと「小田原の人たちは都会的でお洒落なひとが多いな~」的な記述がたくさんあったようですし・・・
あくまでも個人の想像ですが(^^;
※この天守閣の中が資料館になっています。
色々な展示を観ながら最上階の展望台に出ると、
本当に海がよく見えて、小田原の街を一望できました。
ここは素直に感動しました(^0^v
天守閣の見学を済ませた後は、敷地内にある尊徳神社でお参りをして、小田原駅まで歩きました。
気づかないうちに近道を通っていたみたいで、帰りは行きの半分くらいの時間で小田原駅まで到着できました。
箱根湯本駅行きの普通列車までまだ時間があったので、地元のお土産屋さんを覗いてみたら、おいしそうなかまぼこがたくさん売っていました。
ただ旅行初日だったので、ここで生ものを買って持ち歩くのも・・・と思い、またいつか来た時に(いつになるのかわかりませんが。。。)という事にしました。
結局お土産は翌日の帰る直前に箱根湯本駅でお菓子を買っただけになりました(^^;
箱根湯本駅で有名なスイッチバックをする登山列車に乗りました。
※信号所とスイッチバックの行き止まりのところ。
どんどん高度が上がって行って、終点の強羅駅に着いたときは体感でも小田原駅や箱根湯本駅に比べて一気に涼しくなったように感じました。
ホテルに着いたのは17時過ぎでした。
今回は強羅駅近くのホテルに滞在しました。
ホテルについてはまた次回に続きます。